脱核
はたしてこのような言葉が今でもあるのだろうかと思うが、これは私が発見した現象であり、今でも多少未練を残しているので、書き記す。キーワードは、「赤
血球の分化」、『赤芽球」、「網赤血球」、「ミッシングリンク」、『フレンド細胞」、『赤白血病」、『細胞培養」等ということになろう。私は今62歳にな
ろうとするところである。これは父の享年である。ちょうど父が亡くなるころ、私はこれを発見していたのだが、ついに日の目を見ることはなかったのは、ーー
まるで土石流のような、人に言えないいろいろな運命の妨害(災い)があったからである。
奇妙な研究室に、成り行きとはいえ入ったものだ。
教授は若くして教授になった東大医学部卒の生化学者とはいえ、何事か学ぼうと思った私にとって、たちまち嫌悪感を催させる人であった。教室員は大変人柄の
いい人ばかりで、このコントラストに違和感を感じたが、教室のために何かやりたい気にはなった。
人間関係の事は書かない。
細胞培養というのはその頃まだ珍しい研究で、細胞生物学という言葉にすら、多くの人に馴染みはなかったろう。フレンド細胞というこの細胞を、私の指導教官
のN氏が持ってきて、君はこれをやってみないかと言われたとき、私は、ムラムラと研究心が沸いてきた。これで発見できるかもしれないと思った。しかし彼は
じきにアメリカへ留学してしまい、私はひとりになった。ただ残念なことに、細胞培養施設が無く、なによりも、ゴミ捨て場から拾ってきたといわれているひど
い片目の顕微鏡しかなかった。(せめて自分の授業料くらいは使わせてもらえたかった。)いろいろな陰謀を使って、自力で細胞培養室を、拾ってきた鉄骨と、
ビニールで作り、きのこを培養するような、紫外線のついた培養机、を手に入れ、位相差顕微鏡を手に入れたのはだいぶ後の事であった。しかしカメラは最後ま
で教授の許可が降りなかった。
まず最初から、奇妙な細胞がある頻度で出ることに気がついていたので、これをシャーレいっぱいにしてやろうと思っていた。これが出発点だ。
奇妙な細胞像
じきに成果は得られた。これが、脱核と確信したのは結構早かったと思う。赤芽球と網赤血球は、細胞分化の過程では連続しているはずだが似ても似つかないも
の
で、誰もこれを
説明できない。私はこ
の『ミッシングリンク」を見つけた。しかしこの現象を再現よくおこさせることには、残念ながら失敗した。ーー長い間いかに練習しても長島の打率(三割)に及ばない
ままだった。これではこれ以上の野心的な研究はできないが、私は研究に固執すると食べていけなくなるかもしれない。よって諦めた。何も発表していない。
どっちみち九大の教授には、無価値にしか映らないのだろう。
写真3は、このプロセスを終えることができなかった状態の細胞を撮ったものだが(ギムザ染色してある)、こんなことは一度しかなかった。だがこれで信用していただけるだろうか。
脱核中途終了像
脱核を起こさせる度に出来上がる細胞の形が違うが、(写真2)赤血球と瓜二つの細胞が出来上がることもしばしばあった。(写真6)
脱核像1
脱核像2
豚赤血球
自然な形でヘモグロビン陽性の細胞を増やすのが最重要なテクニックと信じていたが、ひょっとして正しくない可能性もある。(写真4)
これが私の発見で、私は、フランケンシュタインプロジェクトと自分では呼んでいた研究の究極の目的は、臓器を作ることであった。
(平成24年春記す)